間違いだらけの大人と戦う小学生女子サッカーパパコーチのひとりごと

5歳からサッカーを始めた娘の為に指導者としても日々勉強中 。 C級指導者ライセンスも取得しました。(体験ブログあり) 間違った大人だらけの環境でなでしこ目指して男の子の中で頑張っている娘とパパの日々を書いていきたいと思っています。

世の中って「自分を中心に世界が回ってる人」と「何かを中心に自分が回ってる人」がいるよねっていう個人的で哲学的?なハナシ

今回は普段から考えてるちょっと哲学的?な事を書こうと思います。

 

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世の中には色んな人がいて、色んな分類やジャンルに分けられると思うんだけど。

 

私の考え方だけど人付き合いで大事な分け方で「自分を中心に世界が回ってる人」と「何かを中心に自分が回ってる人」というのがあると思ってます。

 

「自分を中心に世界が回ってる人」ってのはその名の通り、自分が正しいのは大前提でそれを軸として周りの環境が回っている人。

 

自分が正しいのは大前提なので自分が思っていないように何かが回ると「なんでそうなるんだ!」と怒り出します。

 

誰かに間違いを指摘されても自分が正しいのが大前提だから変わる気もない。

 

意見を聞いたとしても「いや、そっちが間違ってるんだ。」と自分の中で処理をします。

 

こう書くとかなり問題のある人のように見えるけど、社会に出て荒波に揉まれると角が取れて社会人としてはまともな人が多いような気がします。

 

あと老人にこんな人が多いような気がしますね。

 

一方、「何かを中心に自分が回ってる人」は柔軟な考えを持ち、色んな事柄を吸収していきます。

 

じゃあ「何か」ってなんなの?って感じなんだけど「相手を思いやる気持ち」とか「相手への気遣い」とかきっとそんなものなんだと思っています。

 

相手がどんな考えでどう接していけば良いのかを考えながら会話をしてる。

 

何か自分の考えと違う事を言われても「ほう、そんな考え方もあるのか。」とか考えて自分の中で処理できる。

 

自分が中心ではないので自分が回りたい所を自由に回る事ができるし、きっとそんな場所には同じような仲間だったり友達なんかが集まって一緒に何かを生み出せると思っています。

 

君たちはどう生きるか」にも書いてあるんだけど昔の人は地球を中心に太陽と月が回ってる(天動説)と考えていました。

 

それに疑問を持ち、「太陽を中心に地球が回ってるんじゃないの?」(地動説)と考えだしたのがコペルニクスという人でした。

 

地動説で考えると今まで説明がつかない事が全て説明がつくようになったんです。

 

そんな事を声高々に訴えようものなら教会から殺されてしまうような時代。

 

結局、コペルニクスの時代から200年後くらいに地動説が認められてきます。

 

こう考えると「自分(地球)を中心に世界が回ってる人」から「何か(太陽)を中心に自分が回ってる人」へ変わっていけるのは人間の進化と同じなのかも知れません。

 

子供の頃はほとんどの人が「自分を中心に世界が回ってる人」(天動説)ですしね。

 

そこから進化できてない人がたくさんいるって事なんですかね。

 

もちろん、どちらが良いのかは「何かを中心に自分が回ってる人」だと思うけど、完全な経験則だけど残念ながら割合は半々の様な気がしてます。

 

私が大っ嫌いなクソジジイヘッドコーチは間違いなく、「自分を中心に世界が回ってる人」だし、本来であれば絶対に関わりたくない。

 

 でも娘の為に関わらなきゃならないし、向こうが変わる気がさらさらないからこっちが我慢するしかない。

 

一概には言えないかも知れないけど「自分を中心に世界が回ってる人」は自分の考え方と違うやり方は我慢できないし、「何かを中心に自分が回ってる人」は我慢ができる。

 

何か集団で物事を進めようとする時、考え方が違ったりすることは多分たくさんありますよね。

 

こういう時って上の立場の人の意見が優先されてそれが間違ったやり方であってもまかり通る事が多い気がする我が国ニッポン。

 

その時の上の立場の人が「自分を中心に世界が回ってる人」だったらもう最後、軌道修正なんてできやしない。

 

意見を言おうものなら報復行為、結局我慢できる人が我慢するしかないような気がしてるんですよね。

 

本当に世の中の集団って体外、理不尽だらけだよなって思ってます。

 

トップに立つ人が「何かを中心に自分が回ってる人」なら問題はないんだけど。

 

その「何か」を間違えてたらアウトだけど。

 

ちなみにだけど私の勤めている会社の老害社長も「自分を中心に世界が回ってる人」で本当に嫌い。

 

繰り返し書くけど結局我慢できる人が我慢する事で世の中上手く回ってるんじゃないかななんて思ったりもして。

 

我慢できない人がやりたい放題やってるのを横目に我慢できる人は我慢してるっていう謎の理不尽。

 

たまには弱音を吐きたくなります。(たまにじゃないけど)

 

でも悪い事ばかりじゃないって信じてるんです。

 

我慢できない人(自分を中心に世界が回ってる人)同士ではぶつかり合い、仲良くなる事はできないどころか敵がたくさんできますよね。

 

でも我慢できる人(何かを中心に世界が回ってる人)とはもしかしたら仲良くできるのかも知れません。

 

そう考えると我慢できる人は我慢できない人とも上手く付き合うことができるし我慢できる人同士ではお互い気遣い、ものすごく固い絆で結ばれる事ができるんだと私は思ってます。

 

もちろん私は「何かを中心に自分が回ってる人」「我慢できる人」でありたいと思うし、少しは実践できていると思っている。

 

正直、なんで私ばかりがクソジジイヘッドコーチがやりたい放題やってるのだとか人として全く尊敬できない社長に言いたい放題言われてこんなにも我慢しなくてはならないのか本当に腹が立つんだけれども。

 

そのうちぶん殴ってしまいそうだけれども。

 

いつか報われる日が来ると信じて我慢し続けたいと思ってます。

 

いつか何かを中心に自分が回って、そこにたくさんの仲間が集まって来てクリエイティブな毎日が過ごせると信じて。

 

それにしてもいつ報われるんだか。。

 

なんか良くわからないブログになってしまいましたが普段からこんなことをこいつは考えてるんだな~なんて思ってみてくれれば幸いです。